浅間山荘事件の人質は現在 その後|あさま山荘事件 人質女性(画像)

昭和・平成の大事件
  • 浅間山荘事件 人質女性浅間山荘事件の人質女性(画像) は、その後は現在どうしているのでしょうか?
  • あさま山荘事件の人質その後については?

1972年2月19日 あさま山荘事件
連合赤軍(れんごうせきぐん)によっておきた、浅間山荘事件では
民間の人質がとられました。

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1972年2月19日
長野県軽井沢レイクニュータウンの別荘地で突然起きた銃撃戦で
機動隊がで打たれるという事件が発生しましました。

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機動隊員も撃った犯人たちは山へ逃げ込みそこにあった山荘に
人質をとって立てこもります。

これが、後々の日本の重大事件で取り上げられる浅間山荘事件
のはじまりでした。

犯人の彼らは連合赤軍のメンバーだったのです。

 

・あさま山荘事件 人質女性は管理人の奥さん

追い詰められた連合赤軍のメンバーは偶然にあった山荘に立てこもり、
管理人の妻が人質としました。

あさま山荘事件で人質となった女性は、
山荘の管理人の妻 牟田泰子さん27歳でした。

これが浅間山山荘事件のはじまりでした。

当時27歳でした。

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・あさま山荘事件 人質その後

浅間山荘事件は10日間の間、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)
重軽傷者27名の惨事となりました。

管理人の奥さんは無事に保護され、犯人は5人とも全員逮捕されます。

人質としての扱いは1日一食
食事が亡くなった2月26日以降はコーラ1本しか与えられなかったそうです。

あさま山荘事件で人質になった牟田さんは無事に救出され、その後
病院に入院し無事に退院となりました。

しかし、入院先の病院へは新聞記者が忍び込んだり、
人質の牟田さんへの病院での取り調べの模様がなぜか新聞に掲載されたりしました。

浅間山荘事件の人質牟田さんは現在?

無事に救出された牟田泰子さんであったが、立てこもりの間
犯人は紳士的なだったと語ったことが警察の激動を買ってしまったようです。

犯人は金銭目当ての犯行ではなく、
思想犯なのですから、例え婦女子や子供は紳士的に扱うはずです。

しかし、警察は警官2人が撃たれ殉職しているのですから
事実、人質を紳士的に扱ったとしても警察にとっては許せない
発言だったのでしょう。

このことが災いしたのか、浅間山荘事件が後々取り上げられる
たびに人質となった、牟田さんの生の声が聞かれることはありません。

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ドキュメンタリー映画
「実録連合赤軍あさま山荘への道程」
では、犯人が人質を大切に扱うというシーンがありました。

これも牟田さんの証言からなのでしょうか?

浅間山荘事件の人質牟田さんは事件後、現在まで
その行方や事件についての証言は明かされていません。

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