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人質を盾に立てこもった犯人は高学歴の学生という驚きの事実
浅間山荘事件とはどのような事件だったのか、
昭和の事件史に異色を放った、浅間山荘は今、現在どのようになっているのでしょう?
また、浅間山荘事件が生んだカップヌードルの普及や鉄球による衝撃の事件解決について触れてみたいと思います。
浅間山荘事件とは?その背景は
浅間山荘事件は
1972年(昭和47)2月19日に起きた連合赤軍5名による人質籠城事件です。
実行犯は坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久
当時の未成年を含む学生5名の連合赤軍メンバーが長野県軽井沢町の保養所「浅間山荘」に、管理人夫人を人質に立てこもり、警官隊と銃撃戦を展開した事件です。
この事件は立てこもり事件の全容がテレビ中継され日本中の人が固唾を飲んでテレビの前で事件の推移を見守りました。
事件の背景にあったものは連合赤軍の首謀者が逮捕されたことでした。
1972年2月7日,群馬県下で連合赤軍のアジトが発見され
19日までに連合赤軍の首謀者、永田洋子,森恒夫,植垣康博らが逮捕されます。
このことが引き金になって事件は起こります。
浅間山荘事件 犯人の立てこもり
首謀者の永田洋子,森恒夫,植垣康博らが逮捕されたことから
行き場を失った残る坂口弘ら連合赤軍の5人は19日午後,発砲しながら長野県軽井沢の河合楽器保養所浅間山荘に乱入します。
そして山荘の管理人の妻を人質として9日間も籠城し警察当局と銃撃戦を交たのです。
9日間に及ぶ犯人との銃撃戦は当時のテレビ中継で連日のように放送され国民はテレビの前に釘付けとなりました。
また、この銃撃戦で警察官2名が犠牲となり
警察の威信をかけても安否が心配される人質の早期の開放を要求したのです。
しかし、立てこもった犯人たちは全くそれを聞き入れません。首謀者を逮捕されアジトを壊滅された犯人たちは死ぬ気で籠城を続けるのでした。
しかし、この事件を指揮したXXXXXは
2月28日犯人に最後通告を行います。
浅間山荘事件の奇策・鉄球
この事件で警察はあっと驚くような奇策を敢行します。
それは山荘を鉄球で破壊し放水と催涙ガスで犯人を制圧するというものです。
まさか犯人もクレーンに釣った鉄球で山荘を破壊するなどは考えもしなかったでしょう。しかし作戦がバレれば人質の身に危険が及ぶことは間違いありません。
警察はこの鉄球作戦を敢行
そして同日午後6時 に無事に人質を救出
催涙ガスで犯人5人を制圧して逮捕します。
しかし、警察官2名と民間人1名が犠牲になるという大きな犠牲が払われた事件でもありました。
事件の一部始終がテレビで実況放送されたことにより
連合赤軍内部のリンチ殺人事件の報道の徐々に明らかになり全国民的な関心となり連合赤軍の内部の事情は解明されてゆきます。
浅間山荘事件でカップ ヌードルが有名に
連日テレビで中継された浅間山荘事件で有名になったものがあります。季節は2月でしかも場所は長野県。
立てこもり籠城を続ける犯人を包囲する警察官や機動隊の様子は24時間中継され最高視聴率 89.7%を記録したそうです。
その中で警官隊や機動隊員が食べていたもの、それがカップヌードルでした。
今は何の珍しさもないカップヌードルも当時はほとんど普及しておらす、価格もインスタントラーメン3倍ほどもしたのです。
カップヌードルが世界で500億食を超える
日清食品によるカップヌードルがはじめて発売されたのがが1971年(昭和46年)9月18日。
1972年2月浅間山荘事件で警察官の非常用食料として「カップヌードル」が配られ、それを食べる警官隊がテレビで連日のように映し出されたのです。
それまで当時は見たことも食べたこともない人が多くいたカップヌードルは浅間山荘事件を背景に急速に国内で知名度を伸ばします。
そして、今や世界中で様々な種類のカップラーメンが普及し元祖の
日清食品の「カップヌードル」ブランドの世界累計販売食数が、発売50年の2021年に500億食を越えたそうです。
Yahooニュース

浅間山荘事件の場所 今、現在は?
長野県軽井沢の河合楽器保養所浅間山荘が事件の舞台となりましたが
その、場所は現在どうなっているのでしょうか?
事件の起きた長野県のレイクニュータウンは現在、南軽井沢の別荘地帯です。
山荘の鉄球あとは修復
浅間山荘は事件のとき鉄球を受けて壊された部分は補修されていますが
浅間山荘は現在は使われておらず、案内の看板などは一切ありません。
浅間山荘事件 場所 地図は?
浅間山荘の場所は
長野県北佐久郡軽井沢町で近くにはゴルフコースなどもあって
夏の期間は賑わいそうな場所です
浅間山荘跡地の地図(GoogleMAP)
GoogleMAPの地図ではこちらの位置の場所になります。
ちゃんと浅間山荘と地図上にマップされています。