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夏の甲子園大会 大会4日目のレジェンド始球式は牛島和彦さんです。
写真)浪商時代の牛島和彦選手とドカベンこと香川伸行捕手
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201804060000656.html
浪商で3度の甲子園出場、中日、ロッテの投手で横浜ベイスターズ監督の
牛島和彦さんは、大舞台でも度胸満点のマウンドさばきと独自の野球持論を持ち
数々の武勇伝がいまでも語られている選手です。
その牛島和彦選手の決め球驚きのフークボールの秘密
高校時代とプロ野球時代の伝説の武勇伝やヤンキーリーゼント頭を
星野仙一監督に喝をいれられた事件などについてまとめてみました。
牛島和彦(ウシジマカズヒコ)プロフィール画像と野球の経歴
牛島和彦 画像
元日本プロ野球の投手、監督で現在は野球解説者
生年月日:1961年4月13日 (57歳)
出身地:大阪府大東市河合町
身長/体重:177 cm / 70 kg
所属事務所:株式会社プラミン
野球歴は
- 浪商高等学校
- 中日ドラゴンズ (1980 – 1986)
- 千葉ロッテマリーンズ (1987 – 1993)監督歴
- 横浜ベイスターズ (2005 – 2006)
所属事務所:株式会社プラミン。
牛島和彦の高校時代
浪商でドカベンこと香川伸行捕手とバッテリーを組んで2年春、3年春夏と甲子園に3回出場
2年春の選抜高校野球で準優勝
牛島 和彦投手と香川伸行捕手のバッテリーは
大坂の甲子園常連PL学園を破り浪商の黄金時代を築きあげました。
プロ野球での成績
牛島和彦 投手成績
通算:14年1980年~1993年 登板数395
53勝64 敗126セーブ
投球回数905回
防御率3.26
奪三振746
牛島和彦 監督としての成績
横浜ベイスターズ
2005年 3位 146試合 69勝 70敗 7分 勝率.496
2006年 6位 146試合 58勝 84敗 4分 勝率.408
最優秀救援投手:1回 (1987年)
月間MVP:1回 (投手部門:1989年6月)
ファイアマン賞:1回 (1987年)
速球王マーク・クルーンをベイスターズで復活させた牛島監督の手腕
牛島監督が語るマーク・クルーン
牛島和彦 高校時代・プロ野球での武勇伝と伝説
浪商時代の牛島和彦さんは遊び呆けて練習に全く来くることはなくても「試合で投げれば
完封してしまう」などの汗と根性とは違うたぐいの人物だったようです。
3度の甲子園では甘いマスクと独特なキャラクターでギャルの間で人気を博した
牛島投手は高校時代には数々の武勇伝が伝えられています。
牛島和彦 伝説になった武勇伝とは
甲子園でピンチにマウンドに監督からの伝令に来た選手に「俺が抑えるから黙って見ておけ」
テレビのインタビューで「俺が投げれば、チームは絶対勝ちますから」
【高校野球】ベンチの指示に従わない浪商 牛島の決断
第51回選抜決勝 浪商 対 箕島 結局、8対7で箕島が優勝
バッテリーの香川さんも登場している貴重な動画です。
更にプロ野球でも遊び好きの牛島和彦さんは門限破りの常連
中日時代には門限破りの罰金を「給料から天引きにしてくれ」の発言したり
部屋の扉に罰金をあらかじめ貼り付けたりして夜の街へ遊びに行ったとそうです。
大阪浪商高校伝説の不良 牛島和彦
牛島和彦伝説 新人らしからぬ度胸と独自の持論
新人のときから自分の意見を堂々と語る牛島さんには
野球関連の漫画に流用されたエピソードがあります。
当時の投手コーチの300勝投手 稲尾和久さん牛島さんの返答を聞いて「プロで一流の投手になれると直感した」
そうです。
その内容がこちらです。
ミーティングで稲尾和久投手コーチから投手陣全員に「9回2死満塁、カウント2-3(2ストライク3ボール)からどんな球を投げるか?」という質問が出された。ほとんどの投手が自分の決め球を答える中、
ただ一人「自分は分かりません」と答えたのがルーキーの牛島だった。怪訝そうな顔の稲尾に対して牛島は「どのような状況で2-3となったかによって、最後に投げる球も変わってくる。2-3となるまでの経緯がないと、最後の球も決められない。
点差によっても投げる球は変わるし、一概に決められるものではない」と持論を述べた(のちに「150km/hの速球を投げられるわけでもないし、これっていう絶対的な変化球もなかったから、こう答えるしかなかった。」と振り返っている)。
奇しくもこれは稲尾が現役時代に実践していた考え、投球術と全く一致していた。
一方牛島本人はこの時のことについて
「稲尾さんでなくもっと頭の固いコーチだったら、きっと嫌われて目をつけられていただろう」と後に語っている。
Wikiより
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牛島和彦 指の関節外して投げる驚異のフォークボールに絶句
現絵時代の牛島投手は抑えの切り札して三振がとれるピッチャーとしても知られていますが
それほど速い球を投げていたわけではありません。
牛島和彦 決め球はフォークボール
しかし、フォークボールは人指し指と中指の間にボールを挟んで投げる変化球です。
そのためには手の大きさや指の長さが必要です。
牛島投手の手はフォークボールを投げるには小さすぎる手だったのです。
しかも、テレビでフォークボールの握りを解説した
牛島さんは恐ろしい技を披露したのです。
指の間の関節を外して一気に指の間を開きボールを挟んで投げるという
離れ業をやっていたというのです!
こんなのあり??と
スタジオの全員が絶句したそうです。
これが牛島投手のフォークボール 小さな出てボールを挟むため人差し指と名や指の指の股が凹み指の関節が外れています!!
牛島投手は「指が大きく開くようになりたいと思ってボールを挟む事を繰り返していたら、ある時関節を自由に外したり戻したりできるようになった」と証言していた。
牛島投手はじめ佐々木投手などフォークボールの名手の秘密がここに
伝説のヤンキーリーゼントのプロ野球選手 牛島和彦
プロ野球中日入団発表時の髪型はバリバリのリーゼント!
http://blogs.yahoo.co.jp/bs1998ch/46295995.html
さすがに、これには当時の監督星野仙一から喝が入ったそうです!
しかし、牛島和彦選手は監督星野仙一さんにあこがれてきた存在で
星野監督も牛島さんを可愛がってきました。
星野監督と牛島さんの間にはこのようなエピソードもあります。
現役時代から星野仙一に憧れ、星野も牛島を可愛がってきた。しかし星野は牛島を落合博満獲得の為1986年秋の中日監督就任直後、ロッテにトレードする。
トレード決定後、気持ちの整理が付かぬまま移籍会見に臨むため東京に向かう牛島を、星野は名古屋駅の東海道新幹線ホームで見送った。
牛島は人目をはばからず号泣(しかし、星野に対して「落合さんを迎えに来たんですか」と冗談を言った)。
星野は後年のインタビューで「牛島は、他のチームの野球を勉強させるつもりでトレードに出した。
いずれは中日に復帰させるつもりだったが、実現しないまま引退してしまった」と語っている。Wikiより
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