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太田幸司氏が甲子園球場で始球式
夏の甲子園100周年記念大会のイベントのレジェンド始球式が行われていますが、決勝戦の日には三沢高校の太田幸司氏が甲子園で死闘を演じた対戦相手の松山商業OBの井上明氏と共に姿を現す予定です。
ハーフの端正な顔で甲子園の女性ファンのハートを射止めた太田幸司氏と寡黙な投球が多くの甲子園ファンを唸らせた井上明氏
死闘を演じた2人がどの様な姿で始球式に臨むのは、往年の高校野球ファンには大きな楽しみと言えます。
本記事では太田幸司投手のプロフィールの中で、彼の野球人生と現在について記述すると共に、甲子園での活躍を振り返ってみたいと思います。
太田幸司のプロフィールと現在
太田幸司(おおた こうじ)プロフィール
• 生年月日:1952年1月23日 (66歳)
• 出身地:青森県三沢市
• 身長/体重:176 cm / 76 kg
太田 幸司氏は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手で、高校は青森県立三沢高校で。
この三沢高校在学中にエースとして1968年夏、1969年春と夏の3回甲子園出場を果たしています。
高校卒業後は近鉄バファローズに入団し、1984年シーズン終了後に現役を引退しました。
太田 幸司氏の現在は、66歳で、プロ引退後は毎日放送の野球解説者やスポーツキャスターとして活躍すると共に、
2009年8月17日には、新たに発足した日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任し、今も多忙な日々を送っています。
「📻女の子だって甲子園!」は、桑田真澄さんと太田幸司さんのスペシャル対談の後半を放送します!!
甲子園に対する桑田さんの想いに私もドキドキしちゃいました☆詳しくは放送をぜひ聴いてください!#女の子だって甲子園#甲子園進化論 #拡がれ女子プロ野球 #花鈴のマウンド pic.twitter.com/DGHmBoGE70— 女の子だって甲子園!@花鈴のマウンド公式 (@girlsbb_pr) 2018年8月16日
太田幸司の国民的人気大爆発
画像)https://www.sanspo.com/baseball/photos/20150527/npb15052711000001-p2.html
太田幸司氏が三沢高校の投手としてマウンドに立った1969年の夏の甲子園大会の決勝戦は史上初の延長18回引き分けで再試合になった試合で有名です。
このときの対戦校は野球王国四国勢の愛媛県の松山商業でした。
青森県の高校が甲子園の決勝に残ったのは初めてであり、話題となっていたのですが、
しかし、それだけではありませんでした。
ハーフで色白の美少年投手・太田幸司は1969年の夏の甲子園大会の一回戦から女性ファンの人気を独り占めし、日本中の注目を集めたのです。
そして、延長18回を投げぬき、次の日も泥にまみれたユニフォーム姿で完投し敗戦した、青森のハーフ投手は甲子園大会が終わっても国その話題は高まる一方となったのです。
太田幸司 父親はアメリカ人、母が日本人のハーフ
画像)https://www.sanspo.com/baseball/photos/20180811/hig18081116000022-p1.html
太田幸司投手は、米軍基地の街・三沢市に生まれ育った、ロシア人の母と日本人の父をもつハーフとありましたが、
実際は少し違うようです。
太田幸司氏はアメリカ軍人の男性と青森在住の日本人女性との間に生まれたハーフです。
しかし、3歳の時に日本人男性とロシア人女性に養子として迎えられ、その養父母のもとで一人っ子として育てられました。
ちょっとややこしいですが
実父がアメリカ人 実母が日本人
そして育ての父が日本人 育ての母がロシア人ということになります。
甲子園を沸かせた端正で甘いマスクは、ハーフならではと言えるでしょう。
その他、甲子園を沸かせたハーフの選手はロシアと日本人のハーフのスタルヒンや
最近ではダルビッシュ有投手などがいます。
太田幸司氏もダルビッシュ投手同様イケメンですね!
ハーフの人はイケメンが多いでので、それは人気が出ること間違いなしでしょう。
太田幸司投手の三沢高校VS松山商業の歴史に残る試合
画像)https://www.sankei.com/sports/news/180627/spo1806270031-n1.html
1969年8月18日、第51回全国高校野球選手権大会の決勝戦、三沢高校対松山商業戦が甲子園球場で行われ、太田幸司ー井上明両先発による投手戦となり延長18回0-0の引分け、翌日に決勝戦では初の再試合。三沢は延長15回裏一死満塁の好機、カウント0-3も井上は後続を絶つ。太田262球、井上232球。報知69.8.19 pic.twitter.com/HX2rvjTJ2A
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) 2018年8月18日
太田幸司投手は3回の甲子園出場を果たしていますが、その中でも高校野球史に残る試合が1969年夏の決勝戦です。
東北勢としては戦後初めて決勝に進出した太田幸司投手の三沢高校と松山高校の2日間に渡り繰り広げられた熱闘です。
1日目は延長18回で0-0のドローで終わり、翌日の再試合となったのです。この1日目の試合では太田幸司投手は262球を、松山商業のエース井上明投手は232球を、いずれも1人で投げ抜いたのです。現在では考えられない投球数で、その壮絶な投げ合いは正に球史に残るものなのです。
再試合の2日目の試合も太田幸司投手は全イニングを投げ抜きましたが、2-4で三沢高校は涙を飲み準優勝となったのです。
太田幸司投手の端正で甘いマスクから、女性ファンが殺到し、元祖甲子園アイドルと言われるほどその人気は高まっており、この悲劇の決勝戦でその人気は最高潮に達しました。
太田幸司投手の甲子園での成績は6勝3敗
画像)https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B9%B8%E5%8F%B8#mode%3Ddetail%26index%3D1%26st%3D0
太田幸司投手は3回の甲子園出場を果たしていますが、三沢高校は1969年夏には準優勝の好成績を達成していますが、1968年夏は2回戦敗退、1969年春も2回戦で敗退しており、太田幸司投手の甲子園通算成績としては6勝3敗となっています。
高校野球での投手としては、記録よりも記憶に残る投手と言えるかも知れません。
まとめ
太田幸司投手は端正で甘いマスクの美少年として甲子園のアイドルとなり、松山商業との熱投で多くの甲子園ファンに強烈な記憶を残したレジェントといえます。
甲子園で投げ合った太田幸司氏と井上明氏が100周年のレジェンド始球式で、再び甲子園のマウンドに立つのは楽しみですね!
太田幸司さんの始球式#甲子園レジェンド pic.twitter.com/ZZwaW2yr1L
— しゃぼん (@masya24) 2018年8月13日