赤ヘル軍団 初優勝メンバーは 赤ヘル軍団とは?1975年の奇跡

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赤ヘル軍団当時のメンバーは誰昭和列伝!懐かしい話

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赤ヘル軍団 メンバー
赤ヘル軍団とは
赤ヘル軍団 優勝

2017年広島東洋カープがリーグ連覇を2年連続で達成しました。
強い、広島ですが、ここまでくるには苦難の歴史がありました
広島が初優勝を成し遂げた1975年の赤ヘル軍団とは
また、赤ヘル軍団 優勝の時のメンバーは誰がいたのでしょうか?

懐かしさと共に振り返りましょう。

◆阪神2―3広島(18日・甲子園)
優勝マジック1の広島は18日、阪神に3―2で競り勝ち、8度目のリーグV。
37年ぶりのリーグ連覇を達成。緒方監督は、敵地・甲子園のレフトスタンドを埋め尽くしたカープファンのかけ声とともに、胴上げで11度宙に舞った。

yahooニュースより

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赤ヘル軍団とは

広島東洋カープ圧倒的な強さで今年もプロ野球のセリーグの覇者となりましたね。
そんな強い広島カープですが
昔は弱小球団といわれ苦しい時代が長く続きました。

広島東洋カープとして球団が設立されたのは1950年です。

この時期は戦後まだ5年広島の政財界が中心となって
原爆の爪痕が残る広島に復興の印となるべく市民球団として誕生しました。

1950年、2リーグ分立に伴ってセ・リーグに参入
しかし、相手は読売巨人軍を筆頭とする東京や大阪の財界のチーム

お金の無い広島東洋カープはすぐに経営難に陥りました。
その挙句、球場入り口にたるを置いて寄付を募る「たる募金」なども行われたそうです。

そんな市民の応援も甲斐なく万年Bクラス
弱小球団を変えたのが赤ヘル軍団というキャッチフレーズでした。

広島東洋カープのチームカラーの赤をとって
赤ヘル軍団という名で呼ばれました。

当時のカープのユニフォームはフランチャイズが白
ビジターが薄い水色で帽子とヘルメットが赤というスタイルでした。

確か1975年のオールスターゲームで山本浩二選手と
衣笠祥雄選手がアベックホームランなどで活躍し
そのヘルメットの色から赤ヘル軍団と呼ばれるようになった記憶があります。

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赤ヘル軍団 の初優勝は

75年に大リーグから呼んだルーツ氏が監督に就任し、初優勝にかける意気込み
しかし、ルーツ監督は日本の野球が合わず、途中でアメリカへ帰ってしまいます。
シーズン途中から指揮を引き継いだ古葉監督の下、一致団結した赤ヘル軍団は初のリーグ優勝を果たします。

赤ヘル軍団の初優勝時のメンバーは

75年に初のリーグ優勝を果たした
赤ヘル軍団メンバーは今でも語り告がれています。

75年の赤ヘル軍団メンバー

クリーンアップは
3番 一塁   ポプキンス
4番  センター 山本浩二
5版  三塁手  衣笠祥雄

この3人でクリーンアップ不動の打順を組みます。

そして、不動の打順は1番2番から6番から8番までも
1番 二三塁手 大下剛史
2番 遊撃手   三村敏之
6番 ライト シェーン
7番 レフト 水谷実雄
8番 捕手  水沼四郎

打率こそ山本浩二の3割1分9厘が最高でしたが
赤ヘル軍団のクリーンアップは破壊力抜群でした。

・ポプキンス ホームラン 33本 打点91
・山本浩二   ホームラン 30本 打点84
・衣笠祥雄 ホームラン 21本 打点71

そして、一番の大下剛史選手の44盗塁こそ
機動力の広島赤ヘル軍団の象徴ともいえました。

また、赤ヘル軍団の凄さは何といっても投手陣

外木場義郎 防御率 2.95 20勝
佐伯和司 防御率 2.91 15勝
池谷公二郎 防御率 3.32 18勝
宮本幸信 防御率 1.71 10勝

と抜群の投手力を誇りました。

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赤ヘル1975

一九七五年――昭和五十年。広島カープの帽子が紺から赤に変わり、原爆投下から三十年が経った年、一人の少年が東京から引っ越してきた。~

重松清の小説「赤ヘル1975」当時を懐かしみましょう!

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この時代があってこその今現在の広島東洋カープがあるんですね。

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